実は畑に没頭したことがある。長靴はいて鍬持って毎日土の上にいた。農薬や肥料を使わずやってみたかった。野良仕事も力仕事もやったことなかったけど、私はハマってしまったのだ。
土のなかに、種が入ったら、そこからまず根がでる。それから芽がでる。けど、この前に、種は水に浸かって目覚めることが必用。これって洗礼みたいだなと思うわけ。
蒔いたら勝手に生えて勝手に実るわけではない。こぼれ種といって、たまに意図しない場所に偶然蒔かれた種が元気に育つことはあるのだけど、そうじゃない場合は剪定したり支柱建てたりして、収穫を増やすためにいろんなことする必要がある。
場所によっては鹿に全部葉っぱ持っていかれたり、柵で囲ってても破壊されてイノシシかイノブタ?にじゃがいもを掘られたりする。もう、回数増すごとにやる気も持っていかれます。なんで、普通に芽が出て普通に収穫にならないの?何度も思った。暑くてしんどくてちょっと数日放置してたら雑草もモリモリで。
そんなことしながら、一粒の種だった子は育っていきます。野菜により60日~90日で収穫予定と種の袋には書かれてるけど、それはおすすめの作型や肥料のやり方を守って条件が整ってる場合。私がやってたのはそんな早くできなかった。あるときいろんな色の人参の種見つけて蒔いていたけど、予定通りに育ってなくて忘れて放置。それで、もう片付けて何か植えようと思って見たら衝撃!人参天国になってた。感動した。夢中で収穫した。美味かった!!そんなことがパセリでもあった。パセリ天国も見た。
収穫の季節は、一期遅れて迎えたってことだった。春収穫のつもりだったけどそこは見送って秋にできてたって感じ。もっと整えてあげていれば春できるのかもしれないけど、一回目じゃそんなことわからない。
そんなことしながら一株の野菜に生まれる種の多さにおどろく。菜の花、にんじん(この花大好き)、ブロッコリー。「産めよ増えよ地に満ちよってこういうことか…」神様のみこころはこうして、野菜にも反映されてて、なんて美しく、こんなところにまで詰まっていて、神様の繊細さに気が付いた者だけが知る、命があふれる、深い感動がある。神様はいのちなんだなと、いのちは愛なんだなとわかる瞬間がある。
さて話戻るんだけどここからは私の仮説。
種が土の外にでようとするまでの暗闇は肉のうちにある、私たちの霊。もう洗礼受けて、目覚めてるんだけど、まだ土=肉のなか。だとしたら土から出た世界ってなんなの。美しい花が咲く季節。しかしソロモンの栄華でさえ、これほどでなかったとイエス様は言っておられる。
私たちが花咲くのはきっと千年王国。ひとりひとりが、ソロモン以上の祝福された満ち満ちた世界が、実現する。そこへ向かってるんだから、くよくよしなくていいんだっていう聖書箇所だと思うけど、すごいな~って本当にこの箇所嬉しくなるんですよ。
でも今の苦しみも確かになかなかだよね。でも、例えば王様の子供って王子だけれども、子供のうちは後継者になるためにいろんな教育や訓練を受けるし、監督する人がいて子供のうちは言うことを聞かなくてはいけない。王子だからって決して楽ではないと思う。けど、まだ王ではないけれど、確かに王になる予定なんですよね。
この楽しみ、この喜びが全世界に広まっていきますように。