Sola scriptura「聖書のみ」
Sola fide「信仰のみ」
Sola gratia「恵みのみ」
Solus Christus「キリストのみ」
Soli Deo gloria「神の栄光のみ(神にのみ栄光を)」
昨今。
宗教改革にもいろんな意見があって、正しかった面とそうでなかった面などがあって何か人間臭いことも聞こえてきてアレなんですけども
でもこの言葉、わかりやすくていい。
聖書は父なる神様から、キリストが私たちにとってなんであるのか、どういうお方なのか、なぜ来てくださったのか書かれた長い長い手紙。愛の手紙。
信仰は、だたキリストの救いのゆえに自分が神から憎まれる存在ではなく、子とされ祝福を受ける存在になったことを信じ、のろいから解放されていることをすでに受けたと信じること。
恵みは、信仰とつながっているのだけど、能力や生まれや身分や年齢性別に関係なく、キリストの救いを受け取ることのできる、神からの一歩的な贈り物。勝ち取ることや奪い取ることや報酬としていただくことなどできません。
キリストは、神との和解をもたらす、宇宙でたったひとつの、道。また真理。いのち。このいのちは生まれてくるいのちのことではない。「ある」といいうこと。誰かにきかっけをもらって生まれる存在ではなく、ご自身だけで生きておられるお方。だからご自分で死も選べた。
神の栄光は
私たちの苦難は、試練は、もし私たちがそれにもかかわらず神の愛を疑わないなら、必ず誠実なる神はご自身を現わしてくださいます。ひどい目に会うとき、自分で報復しないで。高い山を低くされ、低い谷を高くされ、平らにされる神は、神の名を呼び求めるあなたを引き上げてくださいます。キリストを持たない人は、自分でなんとかするしかなく、もがいたり、多少悪いことをしてでもなんとか自分を救おうとします。ドラマにでてくるやつです。
しかし神のバランス感覚は最高に素晴らしいのです。あなたがもがくのをやめて、イエス様が福音書のなかで語られた「互いに愛し合いなさい」を、ほんの少しでも、自分にできることがないか、幼い子供のように求めるなら必ず、偉大な父の愛に触れ、本当に繊細で本当に香しい、ほんとうに美しい結果を見ることになるでしょう。
そんなわけで。